昭子内親王
後水尾天皇の第三皇女の女二宮の同名の人物については「女二宮 (後水尾天皇皇女)」をご覧ください。 |
昭子内親王 | |
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続柄 | 後水尾天皇第四皇女 |
全名 | 昭子(あきこ) |
称号 | 内親王 |
出生 | 寛永6年8月27日(1629年10月13日) |
死去 | 延宝3年閏4月26日(1675年6月19日)(享年47) |
埋葬 | 光雲寺 |
父親 | 後水尾天皇 |
母親 | 徳川和子(東福門院) |
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昭子内親王(あきこないしんのう、寛永6年8月27日(1629年10月13日) - 延宝3年閏4月26日(1675年6月19日))は江戸時代の皇族。顕子内親王と書かれることもあるが、後年、同母姉女二宮の名を昭子内親王と誤って記載(実名は未詳)されたための誤記とされる。
経歴
寛永14年(1637年)12月8日、内親王宣下を受け、名を昭子内親王とされた。
生涯独身で、寺院への入室もなく、主に女院御所内の御殿において両親のそばで生活した。寛永年間に内親王のために岩倉に山荘が築かれ、岩倉御所と称された。出家はしなかったが、仏道へ傾倒するところもあったらしく、異母姉の文智女王とも親しく交流していたようである。
延宝3年(1675年)、両親に先立ち死去。享年47。戒名は妙荘厳院。墓所は光雲寺。
一族
- 父母:後水尾天皇、東福門院和子
- 兄弟
参考文献
- 久保貴子『徳川和子』吉川弘文館〈人物叢書 新装版〉、2008年2月1日。ISBN 978-4642052450。
- 熊倉功夫『後水尾院』朝日新聞社〈朝日評伝選〉、1982年。ISBN 978-4022570260。
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