織田信直

曖昧さ回避 この項目では、戦国武将について説明しています。江戸時代旗本については「織田信直 (旗本)」を、織田信衡の子については「織田信直 (帯刀)」をご覧ください。
 
凡例
織田信直
伝織田又六信直像(模本)
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文15年(1546年
死没 天正2年9月29日(1574年10月13日
別名 信時、通称:又六郎、又八郎、左衞門
主君 織田信長
氏族 織田氏(藤左衛門家)
父母 父:織田信張、母:織田信康
織田信秀六女・栄輪院
信氏忠辰、牧野宮内少輔娘
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織田 信直(おだ のぶなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。名は信時とも。通称は又六郎、又八郎、左衛門。

略歴

織田氏(藤左衛門家)織田信張の子として誕生。母は織田信康の娘。

信直の時代の藤左衛門家は織田信長の弾正忠家に圧倒されていたが、信直は織田信秀の娘婿、すなわち信長の妹婿であったことから一門として重んじられていた。

小田井城に居を持ち父・信張と行動を共にしていた。天正2年(1574年)7月、第三次長島攻めに従軍。同年9月29日、一揆勢の捨て身の攻撃に遭い討ち死にした。享年29。

名古屋市善光寺別院願王寺に肖像画が残る。

系譜

子女は2男1女。

妻小田井殿の生母が織田信長の乳母を務めた養徳院であることから、子孫は池田氏と共に行動することが多く、江戸時代は池田家家臣となる子孫もいた。

長男の信氏は、天正9年(1581年)の馬揃えで御連枝の衆として参加した。次男の忠辰は最後の小田井城城主で子孫は尾張藩士となった。娘は牧野宮内少輔の室のちに荒尾成房の室。

参考文献

  • 金子拓「織田信直と〈伝織田又六画像〉」『織田信長権力論』吉川弘文館、2015年、79-87頁。ISBN 978-4-642-02925-4。 

外部リンク

  • 善光寺別院 願王寺
先代
織田信張
小田井城主
織田信直
次代
織田信氏
織田木瓜紋織田藤左衛門家当主(1546 - 1574)
織田氏 (平姓)

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