ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世の肖像

『ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世の肖像』
ドイツ語: Kurfürst Johann Friedrich von Sachsen
英語: Portrait of John Frederick I, Elector of Saxony
作者ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
製作年1550–1551年ごろ
種類キャンバス上に油彩
寸法103.5 cm × 83 cm (40.7 in × 33 in)
所蔵美術史美術館ウィーン

ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世の肖像』(ザクセンせんていこうヨハン・フリードリヒいっせいのしょうぞう、: Kurfürst Johann Friedrich von Sachsen: Portrait of John Frederick I, Elector of Saxony)は、イタリアルネサンスヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオキャンバス上に油彩で制作した絵画である。本作は、アウクスブルクで1548年から1550年の間に[1]、おそらく1550年の後半、または1551年の初めに制作された[2]。モデルの人物は、ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ (1503-1554年) である[2][3]。本作は、鎧姿の『ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世の肖像』 (プラド美術館) [4]とともに1558年のマリア・フォン・エスターライヒのコレクションに記述されている[1]。マリアのコレクションを受け継いだフェリペ4世は、レガーネス侯爵(英語版)に作品を贈っている。ウィーンでは、作品は17世紀に最初に記録されており[1]、現在は美術史美術館に所蔵されている[2][3]

歴史

ルーカス・クラナッハ『ヨハン・フリードリヒ (ザクセン選帝侯)』(1531年)

ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒは、新教徒 (プロテスタント) 同盟軍の指揮者として1547年4月20日のミュールベルクの戦い (シュマルカルデン戦争) で旧教徒 (カトリック) 軍のカール5世 (神聖ローマ皇帝) に敗れ、捕虜となって[2]1552年まで幽閉された[3]

ティツィアーノは、皇帝カール5世の招きで1548年1月から9月まで、そして1550年11月から1512年の2月まで皇帝のアウクスブルクの宮廷に滞在した[5][6]。アウクスブルク滞在中に、ティツィアーノは、当時のすべての君主、選帝侯、そのほかの王族たちの肖像を描いたが、これらの作品の多くは現在では失われている[6]。現存している作品として、ミュンヘンアルテ・ピナコテークには『カール5世の肖像』が、プラド美術館には名高い『カール5世騎馬像』が所蔵されている[6]

それらアウクスブルクにいた君主たちの中で、関心の的であったのは当時、囚われの身であったザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒであった[6]。 ティツィアーノは、1度目のアウクスブルク滞在中に鎧姿の『ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世の肖像』[4] (プラド美術館) を描いている。画家は、1550年11月から2度目のアウクスブルク滞在をしており、同年11月11日の日付の手紙には、皇帝による画家に対する歓迎会のことが記述されている[6]。おそらく画家のこの2度目のアウクスブルク滞在時に、現在ウィーンに所蔵されている『ザクセン選帝侯フリードリヒ1世の肖像』が描かれた[7]

作品

本作で、選帝侯はその巨体を黒い服と褐色のクロテンの毛皮の肩掛けに包み、黒の丸い帽子を手にしてアームチェアに腰かけている[3][8]。捕虜にしてなお矜持を失わないその精悍な顔つきには、強い生気とともにいくばくかの憔悴も感じられる。頭部の描写は異例なほど精緻で、ドイツの画家ルーカス・クラナッハの作品をモデルにしているという推測も有力である[2]。頭部や両手 (明部) と、黒と褐色の色調に暗示される身体の量塊 (暗部) の対比は、ティツィアーノ独自の絶妙な絵画的処理を示している[3]

ゲオルク・グロナウによれば、この作品は大きな損傷を受けているにもかかわらず、「ティツィアーノの手わざをあらゆる個所に示している」。 チャールズ・リキッツ(英語版)によれば、本作のすべての写真は満足のいくものではない[9]

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c Gronau 1904, p. 277.
  2. ^ a b c d e “Elector John Frederick of Saxony”. ウィーン美術史美術館公式サイト(英語). 2023年9月29日閲覧。
  3. ^ a b c d e 前川誠郎・クリスティアン・ホルニッヒ・森田義之 1984年、91頁。
  4. ^ a b “John Frederick I of Saxony”. プラド美術館公式サイト(英語). 2023年9月29日閲覧。
  5. ^ 前川誠郎・クリスティアン・ホルニッヒ・森田義之 1984年、97頁。
  6. ^ a b c d e Ricketts 1910, p. 117.
  7. ^ Ricketts 1910, pp. 117–118.
  8. ^ Gronau 1904, pp. 148, 151.
  9. ^ Ricketts 1910, p. 119.

参考文献

  • 前川誠郎・クリスティアン・ホルニッヒ・森田義之『カンヴァス世界の大画家9 ジョルジョーネ/ティツィアーノ』、中央公論社、1984年刊行 ISBN 4-12-401899-1
  • Gronau, Georg (1904). Titian. London: Duckworth and Co; New York: Charles Scribner's Sons. pp. 148–152, 277.
  • Ricketts, Charles (1910). Titian. London: Methuen & Co. Ltd. pp. 117–119, plate cxi.
  • "Juan Federico I de Sajonia". Colección. Museo del Prado. Accessed 5 September 2022.
  • "Kurfürst Johann Friedrich von Sachsen". Kunsthistorisches Museum. Accessed 29 August 2022.

外部リンク

  • 美術史美術館公式サイト、ティツィアーノ『ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世の肖像』 (英語)
  • プラド美術館公式サイト、ティツィアーノ『ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世の肖像』 (英語)
世俗画
肖像画
宗教画
  • 聖母子とパドヴァの聖アントニウス、聖ロクス』(1508年頃)
  • 『十字架を担うキリスト』(1510年頃)
  • 聖家族と羊飼い』(1510年頃)
  • 新生児の奇蹟』(1511年)
  • ジプシーの聖母』(1511年頃)
  • 『キリストの洗礼』(1511年-1512年頃)
  • 『大天使ラファエルとトビアス』(1512年-1514年頃)
  • 『ノリ・メ・タンゲレ』(1514年頃)
  • サクランボの聖母』(1515年)
  • 『貢の銭』(1516年)
  • 聖母子と聖ドロテア、聖ゲオルギウス』(1516年–1518年頃)
  • 『聖母被昇天』(1516年–1518年頃)
  • 『受胎告知(トレヴィーゾ大聖堂)』(1520年頃)
  • 『キリストの埋葬(ルーヴル美術館)』(1520年頃)
  • アヴェロルディ家の祭壇画』(1520年–1522年)
  • ペーザロ家の祭壇画』(1519年–1526年頃)
  • 聖母子と聖カテリナと羊飼い』(1530年頃)
  • 『アルドブランディーニの聖母』(1532年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(パラティーナ美術館)』(1533年頃)
  • 『受胎告知(サン・ロッコ大同信会)』(1535年頃)
  • 『聖母の神殿奉献』(1534年-1538年頃)
  • シャッラの聖母』(1540年年頃)
  • 『洗礼者聖ヨハネ』(1540年-1542年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ルーヴル美術館)』(1542年-1543年)
  • 『この人を見よ(ウィーン)』(1543年)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(カポディモンテ美術館)』(1550年頃)
  • 『アダムとイヴ』(1550年頃)
  • 『ラ・グロリア(聖三位一体の礼拝)』(1551年-1554年)
  • 『聖ラウレンティウスの殉教』(1548年-1559年頃)
  • 『キリストの埋葬(プラド美術館)』(1559年)
  • 『ゲツセマネの祈り』(1558年-1562年頃)
  • 『受胎告知(サン・サルバドール教会)』(1559年-1564年頃)
  • アルベルティーニの聖母』(1560年–1565年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(エルミタージュ美術館)』(1565年頃)
  • 『聖マルガリタ』(1565年頃)
  • 『祝福するキリスト』(1570年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ミュンヘン)』(1570年頃)
  • 『聖セバスティアヌス』(1570年-1572年)
  • スペインによって救済される宗教』(1572年-1575年)
  • 『ピエタ』(1575年-1576年)
関連項目
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